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2011年8月 2日 (火)

忘れるというコト

ここ数日、なんだかヒリヒリとしてた。

局地的な豪雨で起きる災害。
自らで生命を絶つ著名人や元スポーツ選手。
病気でなくなった名優。

なんだか悲しい出来事ばかりがニュースを支配してる気がして、シンドクなってテレビを消す。
受け止めないといけないのは分かってるんだけど、やはり最初はシンドイ。
人間が生きてる中で、楽しいコトよりも辛いコトや悲しいコトの方が多いと思ってる。
そんな中でどうして生きていけるんだろうか?

それは”忘れる”という能力が僕等にはあるから。

忘れるってコトはマイナスな面が多い。
だけど、忘れなければ生きていけない。

大きな壁に打ちひしがれた時。
夢が打ち砕かれた時。
大事な人をなくした時。
何がしかの事情で別れなければいけない人達。

直面した直後はもう生きていけないとか、どうしたらいいんだろうとか途方にくれる。
でもきっと少しづつ少しづつ”痛み”を忘れ、そして何がしかの意味を持って生きていける強さとして立ち直る。
人間はそういうものだと信じたい。

でも”痛み”は忘れても、乗り越えようとした壁の事や、夢の事や、大事な人や、どんな事情であっても愛した人はきっと記憶として忘れない。

大人になるってコトはその所作を知り、経験としてそれを乗り越える術を知るコトなのかもしれない。

僕はまだ大人になりきれてないのかもなぁ。
でもそれが大人というなら、まだならなくてもいいのかも。

うむむ、夜は続く。

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コメント

生徒にはよく忘れる能力の話をします。人間には忘れるという偉大な能力があります。でも,そいつは君たちのように公式があったことさえ忘れてしまう失念に使ってはいけないのだ。どうしても忘れられないつらく悲しい経験に使うべきなんだよ。時間の力を借りて人間は記憶の痛みを取り除くことができる。どうしても忘れられない心をえぐるような思い出から,激痛を取り除き,いい気になっている自分をチクッと突き刺す程度にオブラートでつつむ。そんなやり方でね。
では問題です。記憶と思い出の違いはなんでしょう?森博嗣さんの「全てがFになる」で犀川先生が言っていた質問です。

投稿: かずお | 2011年8月 2日 (火) 06時31分

数日、このブログが頭から離れなくて、まだ大人にはなりきれてない私が、私なりの答えがでました。

悲しい気持ちやツラいことで絶望的になると、自分しか見えなくて、そんな自分嫌になる。

そんなときだからか、周りの人の温かさに気づかされることがあります。
自分だけじゃ受け止められないことを、誰がに話すと、自分とは違う角度で受け止めていて、一つのことがいろんな方向からの見方を教えてくれる。
思いがけない言葉をかけてもらったり、励まされたりと。

悲しいこととか、ツラいこととかを、乗り越えようとするときに、どうやって受け止めるかを学んで大人になっていくのかなと思いました。

忘れるってことは、その事を少しだけ自分だけのboxか、なにかに入れといて、たまに開けるように振り返って、乗り越えた自分に勇気づけられたり、教訓にしたりすることかなと…。

なんだから、的外れで、意味が分からないコメントになってしまったかもしれません。

投稿: みさ | 2011年8月 5日 (金) 01時01分

自然と忘れてしまうこと、
忘れたくても忘れられないこと、
覚えていたいのに忘れていってしまうこと、
痛みを伴っても忘れたくないこと…

「忘れる」力は必要不可欠だけど、扱いが難しいコトも多いですね。

人間だから、きっとそれでいいのでしょうけど(^-^)

投稿: mameta | 2011年8月 5日 (金) 10時40分

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